FC2ブログ
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2005年12月6日に母が倒れ、その後3ヶ月救急病院に、そしてさらに3ヶ月リハビリ病院に。
退院し、帰宅したのが、ちょうど5年前の2006年7月1日でした。

ふと先日思い出し、日々、なれなくて辛い事もあったけど、
”あっという間の5年”だったな、と思います。

最近では、すっかり母も私も、介護に慣れて、自由に遊びに行ってリフレッシュしたり、
仕事しないことをいいことに、ダラダラ過ごし、かえって働いている方に、申し訳ないような生活です。

それでも、季節の変わり目で持病がいまひとつのときや、疲れているときは、
本当に母の顔も見たくない日も未だにあり、母にも、世間の頑張っている友人にも申し訳ない気持ちいっぱいです。

***

ブログで、介護の掲示板を見ると、介護される側が、悲観的になったり、介護する人にあたったり、
認知症では言う事が通じなかったり、、本当にご苦労されている方を見るに耐えません。

家の場合、最初、母の言語障害がひどかったこと、
そして「人の感情を理解する場所」を損傷したため、そこが辛かったです。

また、お下の話で恐縮ですが、そっちもコントロールできず、小さいほうはよくても、
お通じでは、ストレスが絶えませんでした。
さらに、私が辛くて怒っても、へらへら笑っている母に怒りがかえって増しました。


でも、この5年でとっても母は変わってきました。

元気な頃、私と母は共通した食べ物がすきなので、自分の分も、私に分けてくれる人だったのに、
退院後は、私の分まで平気で、食べてしまう。ここが恩返しと思っても、変わった母を見るのが辛かった。

でも、今は、半分にわけようとしたり、先日も、元ダンナの急な襲撃で、
二人分のさくらんぼを、元ダンナと母にだけあげたら、元ダンナは何も気づかず食べているのに、
母は様子を察し、自分の分を私にくれようとするので、ああ、昔の母の心は死んでなかったとホロリ。

母の隣で、友人と電話で話していて、「あ~~その日はお母さん居てさ、行司に参加できない」と言っていると
聞きつけて、「私はいいよ、泊まるよ」と言ってくれるのです。
あまりに預けすぎでかわいそうだからいい、と言っても、「いいよ、いいよ」と言うのです。

少し手はかかっても、私を思う親心はすっかり戻ってきたようです。

***

さらに、言葉の方も、自分から何かを言う事は滅多になかったのに、
この頃、一生懸命かたことで、自分からしゃべりかけようとします。
最初の一文字を言うと言葉を思い出しやすいようなので、最近は尻取りを家でのリハビリにしています。

お下も、おしっこはダメですが、お通じはだいぶコントロールできてきました。

そして、私がヒステリーを起こしても、上手に知らん顔したり、自分も悲しそうにしたりするようになってきました。

脳科学者の茂木さんの言うとおり、脳はいくつになっても進化するんだな、と深く実感。

***

いろんな方の介護の経験談を拝見し、
うちはどんなに恵まれているか、と思います。
介護って、する側だけが頑張らなくちゃならない場合、本当にストレスたまるんですよね。
でも、家のように、介護される母が、私に協力的で、自分を犠牲にしても、私が遊びにいけるようにと思っている。
なんとありがたいことでしょうか。


こうなって、改めて母を尊敬した部分があります。
前にも書いたかもしれませんが、今の自分を受け入れ、前向きなことです。

多くの患者さんが悲観的になる。
でも、母は多分天性から、「こうなったら悲しいけど仕方ない、これはこれで楽しめばいい、なんとかなる」
と思っていること。決して悲観的でなく、おどけて、私と一緒にふざけたりする。
自分は将来、そんな風になれるかな、と思います。

最後に。
先日、テレビで、初めて「マダム・シンコ」という人を見ました。
今の洋菓子店を始めたのが、55歳だったとか。
私が、「私なんか、まだ47歳。人生はこれからだね」というと、
いつになく、大きな声で母は
「そうだよ、人生は、まだこれからだよ」と、私を励ましてくれました。
またちょっとホロリときました。
母には、私が何だか人生諦めているように映っているのでしょうかね。

今、73歳の母。
とにかく80歳まで寝たきりにならず、車椅子で元気に生きてほしい。
あと、7年は私も頑張りたいです。

自分が母の保護者になった気分でいますが、
母が亡くなったら、心にアナがあくでしょう。
母が、今、こんなになっても、私を見守っていてくれる、昔からの母に違いないのだ、と最近しみじみ思います。




【8/3追記】

母はいつも介護用エプロンで食事し、それをすごく汚していました。
でも、高級なレストランに行くと、綺麗に食べる事ができるのです。
それで、家では家用の服なので、思い切ってエプロンなしで食事するようにしました。

そしたら。
汚してはいけないという緊張感が生まれるようで、エプロンをしているときよりも汚さなくなり、
エプロンは必要なくなりました。
良い緊張感というものは、人間、必要なものだな、と思いました。(ここで、しばし自己反省^^;)

42歳で母が倒れ、今47歳。
友人達は、バリバリ働き、または、家庭で育児&家事&パートまで。
自分の人生を生きている。

自分の40代は?
私は母のために生きるの?自分の時間をもってはいるけど、遊んで過ごすのが精一杯。
それでいいの?一度きりの人生なのに。

母を介護すると決めたとき、悩んだ事です。
当時ネットでの友人だった人に、何も迷わず、介護をとれ、と背中を押していただき、後悔はしていません、

けれど、今でも、47歳の自分が、頑張って社会にいる周りの皆さんから外れた場所にいるように思うこともしばしばです。
辞めた会社で働く夢を、何十回と見て、はっと目覚めることも多いです。
もうワード&エクセルも、2003までしか知らない自分。


それでも、55歳からでも会社を作れるんですもんね。
何か、こんな私にも、今でもできることはあるでしょうか。

これでいいのか、
社会から落ちこぼれていないか、
自問自答しながら、まだ当面、母を面倒みていくのだと思います。


これが、きっと私の人生、40代~50代前半の使命なのかもしれません。



Secret

TrackBackURL
→http://kakenshoku.blog46.fc2.com/tb.php/499-555b7d93
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。